打ち手辞典

『承諾後辞退』の絶望を乗り越える“入社まで”のエンゲージメント戦略

「『御社が第一志望です!』と涙ながらに語ってくれた学生から、内定式の1週間前に辞退の連絡が…。内定承諾書とは、一体何だったのか。人間不信になりかけました。」

信じていた相手から、最後の最後で梯子を外される。あの瞬間、これまでの全ての努力と時間が、まるで砂のように指の間からこぼれ落ちていく感覚。

この問題の本質は、学生の倫理観の欠如というよりも、現代の就職活動において「内定承諾書」が、もはや何の心理的な拘束力も持たない、ただの「仮押さえの儀式」へと形骸化してしまったという、市場のルール変更にあります。

その「約束が紙切れになった時代」を嘆くのではなく、内定承諾を「ゴール」ではなく「新たなスタート」と再定義し、入社の日まで候補者の心を離さないための、継続的なエンゲージメント(関係構築)をご提案します。


ステップ0:まず、なぜあなたの”承諾書”はただの紙切れになるのか?を診断しよう

一度は「第一志望」とまで言ってくれた学生が、土壇場で心変わりする背景には、承諾後のフォローアップにおける、いくつかの致命的な欠陥が潜んでいます。

  • □ 承諾書・過信型:
    内定承諾書を提出させたことで完全に安心し、「釣った魚に餌をやらない」状態になっている。
  • □ 内定ブルー・対策不備型:
    内定承諾後に学生が陥る「本当にこの選択で良かったのか」という不安(内定ブルー)に対し、何のケアもできていない。
  • □ 競合の巻き返し・無策型:
    学生が承諾書を出した後も、競合他社が好条件でアプローチを続けているという「仁義なき戦い」の現実を想定していない。
  • □ 「釣った魚に餌をやらない」型:
    内定承諾前はあれほど丁寧だったコミュニケーションが、承諾後は事務的な連絡のみになり、学生が「雑に扱われている」と感じている。
  • □ 入社動機・脆弱型:
    学生の入社動機が、「企業の安定性」や「給与」といった条件面に偏っており、より良い条件を提示する企業が現れれば、簡単に覆ってしまう。

これらは全て、内定承諾を「関係のゴール」と捉え、そこから先の「関係維持・深化」の努力を怠っていることが原因です。


ステップ1:思想をアップデートする。「契約」から「信頼の継続」へ

「内定承諾書は、ゴールテープではなく、最終ラップの始まりを告げる号砲である」

この思想にアップデートします。ここから入社日までの数ヶ月間こそ、最も競合からの揺さぶりが激しく、学生の心も揺れ動く、採用活動のクライマックスです。

【新しい採用のゴール設定】

ゴールは「内定承諾」ではない。「入社日の朝、未来への期待に胸を膨らませて、笑顔でオフィスのドアを開けてもらうこと」である。

このゴールから逆算すれば、承諾書をもらった後に、本当にやるべきことが見えてきます。それは、合理的な条件比較を超えた、情緒的な繋がりを築くことです。


ステップ2:“心変わり”させない、継続的なエンゲージメント術

思想のアップデートが完了したら、いよいよ具体的な戦術です。「絶望」を「盤石な信頼」に変える4つの打ち手をご紹介します。

1. 「内定承諾直後」の特別体験(Special Experience)の提供

難易度 コスト 中(物品費等) 期間 内定承諾直後
目的
感情が最も高まっている瞬間に、強烈な歓迎の証を刻み込む
具体策
・承諾当日に役員や部長から歓迎動画メッセージ送付
・数日以内に手書きメッセージ入り「ウェルカムキット」を自宅へ配送
主要KPI
・候補者の感情的エンゲージメント向上
・SNSでのポジティブ言及
・承諾直後の離脱防止

2. 「競合」ではなく「自社」を選び続ける理由の提供

難易度 コスト 中~高(制作・ツール代) 期間 内定承諾後~入社まで
目的
自社の魅力を継続的にインプットし、選択の正しさを補強する
具体策
・内定者限定プラットフォームを開設
・スキル講座、プロジェクト進捗報告、イベント招待などを定期提供
主要KPI
・エンゲージメントサーベイのスコア
・自社を選んだ理由の言語化解像度
・オンラインコンテンツアクセス数

3. 「意思決定の正しさ」を再確認させるコミュニケーション

難易度 コスト 低(工数のみ) 期間 内定承諾後~入社まで
目的
内定ブルーを払拭し、ポジティブな気持ちを維持・強化する
具体策
・上司やメンターが月1回「あなたを待っている」メッセージを送信
・プロジェクトやチームでの期待を具体的に伝える
主要KPI
・内定辞退率低下
・入社意欲の維持・向上
・相談件数(ポジティブ変化)

4. 「辞退の相談」をされるような信頼関係構築

難易度 コスト 期間 内定承諾後~入社まで
目的
学生が正直に悩みを打ち明けられる、キャリア相談相手になる
具体策
・定期1on1で「迷ったら敵でなく相談して」と伝える
・オープン姿勢を示し、信頼関係を構築
主要KPI
・辞退予兆の早期発見
・辞退理由ヒアリングの質向上
・採用担当者の成長・次年度戦略貢献

成功のための深掘り解説

打ち手1:「内定承諾直後」の特別体験

内定を承諾した瞬間は、学生の感情が最も高ぶり、「この会社に決めて良かった!」と思っているピークです。この“ゴールデンタイム”を逃さず、期待を上回る歓迎の姿勢を示すことで、そのポジティブな感情を強固な「確信」へと変えることができます。この最初の感動体験が、その後の数ヶ月間のエンゲージメントの土台となります。

打ち手2:「競合」ではなく「自社」を選び続ける理由の提供

学生の頭の中では、内定承諾後も、無意識に自社と競合他社との比較が続いています。その思考の競争に勝ち続けるためには、「この会社を選んだ自分は、正しかった」と思えるような、新しい情報を継続的に提供し続ける必要があります。特に、「あなたの成長に、私たちは今から投資します」というメッセージは、条件面での比較を超えた、強力な魅力付けとなります。

打ち手3:「意思決定の正しさ」を定期的に再確認させるコミュニケーション

これは、内定ブルーに対する、最も効果的なワクチンです。人は、自分の選択が正しかったという証拠を探し続ける生き物です。未来の上司や仲間から、「あなたが必要だ」「一緒に働くのが楽しみだ」という具体的な言葉をかけられることで、学生の心の中にある「本当にここで良かったのか…」という小さな不安の芽は摘み取られ、代わりに「この人たちの期待に応えたい」というポジ-ティブな決意が育っていきます。

打ち手4:「辞退の相談」をされるような、信頼関係の構築

これは、採用担当者として目指すべき、究極のゴールです。学生が、競合他社からの魅力的なオファーに悩んだ時、それを隠して去っていくのではなく、「実は、X社からこんな話をいただいて、迷っています」と、あなたに相談してくれる関係性。ここまで来れば、たとえその学生を失ったとしても、あなたは貴重な競合情報を得て、次の戦略に活かすことができます。これは、採用担当者が、単なる選考官から、一人の若者のキャリアに寄り添う、信頼できるパートナーへと昇華した証です。

明日からできることリスト

  • ・承諾後すぐ、内定者に「歓迎動画」または「手書きメッセージ」を送れる文案を準備する
  • ・承諾直後に「ウェルカムキット(例:ノベルティ、メッセージカード)」を送る準備リストを作っておく
  • ・内定者向けに、定期的な「自社を選んだ理由再確認」「社会人になったら期待していること」を聞くフォーマットを作成する
  • ・担当上司やメンターからの「あなたを待っています」「一緒に働くのが楽しみです」というメッセージを送るタイミングを社内カレンダーに登録する
  • ・内定辞退を思いとどまってもらうために、「もしなにか不安があればいつでも相談してください」と伝える定期1on1聞き取りを企画する

「法的拘束力のある契約書」ではなく、「情緒的に解約できない信頼関係」

採用担当者は、学生にサインをさせる契約担当者ではありません。

一度結んだ心の約束が、入社の日まで決して揺らぐことのないよう、絶え間ないコミュニケーションと配慮で、その関係を育み続ける、リレーションシップのプロフェッショナルです。

内定承諾書は、もはや何の保証にもなりません。

本当の意味での保証は、「もしこの会社を辞退したら、あの親身になってくれた〇〇さんを裏切ることになる…」と、学生の心に、良い意味での“心苦しさ”が生まれるほどの、深く、温かい人間関係の中にしか存在しないのです。

その人間不信になりかけた辛い経験を、ぜひ、次なる時代の新しい採用の形を創り出すための、力強い一歩に変えていってください。