打ち手辞典

『採用は人事の仕事』の壁を突破する“エース社員”を口説き落とす交渉術

「現場のエース社員に『リクルーターとして協力してほしい』と頼んだら、『自分の仕事が忙しい。採用は人事の仕事でしょ』と冷たく断られた。この会社には、全社で採用するという意識が、絶望的に欠けている…」

採用成功の鍵を握る、最も学生に会わせたい“最高の武器(エース社員)”が、肝心な時に、自らの意志で動くことを拒否する。その絶望感と、会社全体の当事者意識の低さに対する深い失望。

この問題の本質は、そのエース社員が「意地悪」なのではなく、彼/彼女の評価や報酬が、自らの通常業務の成果のみによって決まるという、極めて合理的なインセンティブ(動機付け)の中で、ただ論理的に行動しているだけ、という点にあります。

この辞典は、その「採用協力=評価されない、ただのボランティア」という、現場の常識を打ち破り、採用担当者が「お願いする下請け」から「魅力的な取引を持ちかける交渉人」へと進化することで、エース社員を口説き落とすための、具体的な打ち手をご提案します。


ステップ0:なぜ、あなたの現場エースは”非協力的”なのか?を診断しよう

優秀で、合理的なエース社員ほど、無駄な仕事はしたくないと考えています。彼らが採用協力を断る背景には、いくつかの極めて論理的な理由があります。

  • □ 評価・未連動型:
    採用活動に協力しても、自らの人事評価やボーナス査定に、1円も、1点もプラスにならない。
  • □ 工数・一方的搾取型:
    採用に協力することで、自らの通常業務の時間が奪われる。しかし、会社も人事も、その分の業務負荷を軽減する策を何も提示しない。
  • □ 目的と価値・未共有型:
    なぜ、他の誰でもなく「自分」が協力する必要があるのか、その戦略的な重要性が、十分に説明されていない。
  • □ 「やらされ感」満載・丸投げ型:
    「ちょっと手伝って」という曖昧な依頼で、具体的に何を、どれくらいやれば良いのかが不明確。責任と役割が定義されていない。
  • □ 過去の失敗・不信型:
    過去に協力した際、時間を割いて面接した候補者が、結局入社しなかったり、入社後すぐに辞めたりして、「自分の時間は無駄だった」というネガティブな経験がある。

これらは全て、採用担当者が、エース社員の“貴重な時間”という経営資源を、敬意と戦略性をもって扱えていないことが原因です。


ステップ1:思想をアップデートする。「お願い」から「交渉(ディール)」へ。視点を切り替える

「お願いします、協力してください」という、”お願い”モードを、今日から完全に捨てます。

代わりに、「あなたの力を貸してほしい。その代わり、あなたには、これらのメリットを提供します」という、対等な”交渉”モードに切り替えます。

【エース社員を口説くための“取引材料”】

  • 個人の成長機会: リーダーシップ、メンタリング、プレゼンテーション能力の向上
  • 社内影響力の拡大: 自分のチームの未来を、自らの手で創る権利
  • 経営層へのアピール: 採用という経営課題に貢献する、次世代リーダーとしての評価
  • 市場価値の向上: 最新の学生の価値観や、競合の動向に触れる機会

この“取引材料”を手に、あなたは、エース社員という名の、社内に眠る最高のタレントを“ヘッドハント”しにいくのです。


ステップ2:“他人事”を“自分ごと”に変える、具体的な交渉術

思想のアップデートが完了したら、いよいよ具体的な戦術です。「人事の仕事でしょ」という冷たい壁を、情熱の握手へと変える4つの打ち手をご紹介します。

1. 「個人へのメリット」を具体的に言語化・提示する

難易度 コスト 期間 依頼時
目的
「会社のため」から「自分のため」への意識転換を促す
具体策
・エース社員に「ロールモデルとして採用成功の鍵であり、人材を見抜く力・育成力を磨く機会」と伝える。
・明確なメリットを提示し、個人の成長機会として動機づける。
主要KPI
・エース社員の参加承諾率
・協力社員の満足度と継続意向
・採用担当者の交渉力向上

2. 「工数削減」の具体策を、セットで提案する

難易度 コスト 期間 依頼時
目的
「忙しい」という反論を先回りで封じる
具体策
・上司を巻き込み「月4時間の協力と、その代替業務を若手へ委任」という提案。
・本人の負担を軽減し、若手育成も同時に実現。
主要KPI
・現場管理職からの協力取り付け
・協力社員の業務負荷軽減
・組織全体の協力体制構築

3. 「役割」を限定し、”VIP待遇”を演出する

難易度 コスト 期間 依頼時
目的
雑務を排し、特別感とプライドを刺激する
具体策
・「最終候補3名のみ対応」と役割を限定。
・日程調整や情報共有は採用担当がすべて準備し、VIP待遇を徹底。
主要KPI
・心理的負担の軽減
・候補者の志望度向上
・協力関係の長期化

4. 採用活動への貢献を「評価制度」に組み込む

難易度 コスト 低~中 期間 6ヶ月~1年
目的
採用協力を「評価される業務」として正当化する
具体策
・人事評価項目に「人材採用・育成への貢献度」を追加。
・協力時間や成果を評価や査定に反映。
主要KPI
・「採用は全社で行うもの」文化の醸成
・評価への反映度
・採用活動の継続性と質の向上

成功のための深掘り解説

打ち手1:「個人へのメリット」を具体的に言語化・提示する

これが、交渉の成否を分ける、最初の、そして最も重要な一歩です。エース社員は、常に自身の成長と市場価値を意識しています。採用協力という経験が、いかに彼らのキャリアにとって有益な「投資」であるかを、具体的に、そして熱意をもって語ること。あなたは、もはやお願いする立場ではありません。彼らに、新しい成長の機会を提供する、キャリアコンサルタントなのです。

打ち手2:「工数削減」の具体策を、セットで提案する

「忙しい」は、断るための、絶対的なパワーワードです。その言葉に対し、「分かります。だから、あなたの仕事がこう楽になるように、ここまで考えてきました」と、具体的な解決策を提示する。この“一歩踏み込んだ配慮”は、相手に「この担当者は、本気だ。そして、自分のことを理解してくれている」という、強い信頼感を抱かせます。

打ち手3:「役割」を限定し、“VIP待遇”を演出する

エース社員は、その他大勢と同じ扱いは好みません。「あなたにしか、できないんです」という“特別感”と、面倒なことは一切やらなくていいという“VIP待遇”を演出すること。彼らのプライドをくすぐり、最も得意で、最も価値のある部分(=学生との対話)にだけ、気持ちよく集中してもらう。この“舞台設定”こそが、採用担当者の腕の見せ所です。

打ち手4:採用活動への貢献を「評価制度」に組み込む

これは、小手先の交渉術を超えた、最も抜本的で、持続可能な解決策です。個人の善意や、採用担当者の交渉力に依存するのではなく、「採用に協力することが、評価され、報われる」という、揺るぎない“仕組み”を、会社として公式に導入する。これが実現して初めて、あなたの会社は、「採用は人事の仕事」という古い呪縛から解放され、真の「全社採用」へと生まれ変わるのです。

明日からできることリスト

  • エース社員タイプの診断を試す
    チーム内や最近断られた現場責任者に対し、「評価に貢献が反映されていない」「忙しくて時間がない」など、どのタイプに当てはまるかを簡単に問うてみる。
  • 個別交渉案を作成する
    打ち手1〜4の中で、すぐ取りかかれそうなもの(例:打ち手1の「個人へのメリットを言語化」)を選び、社内のエース社員に向けて使える提案文(メール文案など)を作成しておく。
  • 工数軽減案をパッケージにして示す
    「あなたにかかる工数をこのように減らします」という具体案(例:若手への業務代理案、日程調整も採用担当が担当)をメモしておく。
  • 評価制度への提案スケッチを作成
    次回の評価制度見直し/査定会議に向けて、「採用活動への貢献度を評価項目に入れてほしい」という草案をスライド一枚にまとめておく。
  • VIP扱いプランを試案する
    最終面接時にエース社員への案内文で「あなた限定の役割」「この3人だけの面接官になってほしい」という趣旨の文言を入れる案を準備し、試験運用してみる。

「お願いを聞いてもらう」ことではなく、「魅力的なディール(取引)を成立させる」こと

採用担当者は、現場のスター選手に、頭を下げて協力を乞う、気弱なサポーターではありません。

あなたは、社内外の最高のタレントを見出し、彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるディールを設計する、プロの“エージェント”なのです。

エース社員の「採用は人事の仕事でしょ」という言葉は、あなたへの拒絶ではありません。

それは、「私を動かすだけの、魅力的な理由(メリット)を提示できますか?」という、交渉開始のゴングなのです。

そのゴングに応え、最高の提案を携えて、対等な立場で交渉のテーブルに着くこと。

その先にこそ、現場のエースが、採用の”最強のエース”へと変貌し、会社全体の採用力を劇的に引き上げる、最高の未来が待っているのです。